どんな言葉をかけたらいいのだろうか。一人の青年を前にして私が抱いた思いでした。それは、ある日、私を訪ねて来た青年でした。自分の話しを聞いてほしい、誰かに気持ちを打ち明けたいと。
この青年は職場の先輩と一緒に出かけたところ、事故に巻き込まれてしまいました。その青年は自力で助かったものの、一緒にいた先輩は亡くなってしまいました。先輩の家族や親戚からはやり場のない激しい怒りがぶつけられる。しかも、その先輩には生まれたばかりの子供がいました。先輩を失った悲しみ、自らの責任、さらには先輩の家族や親戚からの激しい叱責…。その青年が私のもとに来たときには、心に深い傷を負って、今ここにやっといるという様子でした。
牧師として遣わされ8年。冒頭のような重い相談を受けることがあります。教会員だけではありません。ご紹介した若い青年は、それまで一度も教会に来たことがなかった。教会員がその青年のことを知って、私のもとに連れて来たのです。誰かに話して心の悩みを打ち明けたい。でも誰に相談したらいいか分からない。誰にも相談できない。重荷を抱えてしまって、途方に暮れてしまう。そんな人が私たちの周りに少なくありません。
相談の内容が重いほど、具体的な解決の方法を示すことなどできません。ひたすら話しを聞くだけです。そうしながら、聖書を読んで一緒に祈り、そして、礼拝へと誘います。何よりも確かな慰め主がここにおられる。聖書に証しされている主イエス・キリストです。そのお方がおられる場所が教会であると。どんなに信仰を持っていない人でも、そのことを伝えます。
悩み、苦しみ、傷ついている人たちが、み言葉を通して、祈りを通して、礼拝を通して、少しずつ明るさを取り戻していく。そのような場に立会う度に、主イエス・キリストが生きておられると知らされます。牧師として召された恵み、喜びを数える時です
1969年東京都で生まれました。
幼児洗礼を授けられ、高校生の時に信仰告白をしました。
大学を卒業後、6年ほど社会人として働きましたが、その折、み言葉を通して教会に仕えたいという志が与えられ、献身をしました。
2001年東京神学大学を卒業し、現在仕えています日本基督教団函館教会に遣わされ今日に至っています。
函館は2009年に開港150周年を迎えます。北海道の中では歴史のある町で、教会も多いところです。その中で、日本基督教団に属する教会の信仰を確かめつつ、教会に仕えています。